2024年11月16日土曜日

るすばんねこ 95

 

 昨日までの『大阪個展』に出かけていたうささん宅で、お留守番していたニャアコちゃん。急な冷込みで、カマクラ内に暖かめの冬用フリースが敷かれました。フリースの匂いを念入りに嗅いでいるニャアコちゃん。洗ったとはいえ、生き物の匂いはニャアコちゃんだけのはずですが、やはり一年ぶりですからそう簡単に安心できないのでしょう。時間をかけて納得してから、ようやく落ちつきました。
 ストーブ設置の都合上、少しずつずらさなくてはならない家具の配置も、ニャアコちゃんは見逃しません。5センチ以内の距離変化にも気づき、何度も点検するのでした。ニャアコちゃん、きっと「間違い探し」が大得意ですね…。
 たかぎ家の猫・マーブルは、リビングの衣替えにほぼ無頓着。一年ぶりに出てきたホットカーペットや炬燵布団に、すぐにごろんとくつろいでいました。「間違い探し」不得意なタイプでしょうか…。
 ストーブやカーペットと入れ替わりに収納されて行く夏の物たち。
また来年の夏も変わらず、今いる子たちと元気に再会してくれますように!
毎年、季節の変わり目はそう願っています。

2024年10月31日木曜日

鹿が啼く

 先日、久しぶりにハイキングに出かけました。訪れたのは北八ヶ岳。山登りに初めて夢中になった20代半ば、私は中央線沿いの多摩地域に住んでいたので、八ヶ岳は 日帰りで行ける近い場所でした。それなのに一度も訪れたことがなく、遠い東北や北海道の山ばかり登っていました。アルプスや八ヶ岳は、登山者があふれているイメージで敬遠していたのです。
  私が今回訪れたのは、 ロープウェイを利用して北横岳~三ッ岳~雨池山を巡るコースでした。人気のあるコースですし休日でしたので、人がかなり多いのを覚悟していたわりに、静かに楽しめました。是非、他の様々なコースも訪れてみたいです!
 写真の鹿たちは、北八ヶ岳ロープウェイ乗り場近くの道路脇で会いました。嬉しくて、手元のスマートフォンでたくさん撮りましたが、暗さと手ブレで下手な写真です…。
 この雌鹿たちと道路を挟んだ反対側斜面には、立派な角をもつ雄鹿が佇んでいました。突如、激しい鳴き声。私は、鹿の鳴き声はピィ!という甲高い警戒鳴きしか聞いたことがなく、雄鹿が雌鹿へ呼びかける、絞り出すような長い鳴き声を初めて聞きました。鳴くというより啼くと書きたくなる、そんな声です。
 あっという間に暮れてしまう秋の日暮れ時、このような声を聞くと切ない気持ちになります。百人一首で憶えある、鹿の声を聞くと秋の悲しさを感じるという意がある句の情感を、実感しました。
 





2024年10月14日月曜日

るすばんねこ 94

 

 一昨日、岩手から東京へ愛犬の受診へやってきた友人Sさん&わんこに会ってきました。うささんも前日から留守でしたから、朝から晩まで部屋でお留守番をしていたニャアコちゃん。誰も来ないとほとんど眠って過ごしている様子で、ごはんの減りが悪いのでちょっと心配です。
(過保護かな…。)

 Sさんと愛犬がわざわざ遠くから新幹線で東京までやってきた理由は、持病の肺疾患と歯の治療についてなかなか納得のいく診察をしてもらえなかったからです。Sさんの主治医さんが悪いというわけではありませんが、この先の治療について納得するための『阿佐ヶ谷動物病院』への受診でした。結果的に納得できたようで、よかったです。

 院長の西井丈博先生は、うささんが数十年お世話になっている大恩人であり、普段からチームうーにゃんで保護された重篤な病状の動物たちに素晴らしい治療を施してくださっています。

 私も若かりし頃、都内でうさぎを保護した頃からお世話になっています。難しい手術も短時間でこなしてしまうし、過去にわからなかった病気を見つけてくれたり、あらゆる面で尊敬できるすごい先生なのですが、一番すごいのはそのお人柄です。その命に寄り添い、どの治療が一番幸せなのか、細やかかつ総合的な診察で導いてくれるところなのです。

 人間の医療でも度々思います。専門医がそろっている大病院と専門ではなくても体を総合的に診察してもらえる小さな医院。どちらが隠された重病を見つけてくれるのか…。結局は、規模でも機器でもなくその『人』次第ということなのでしょうね。

 ニャアコちゃん、ずっと元気でいてほしいです。でももし病院に行かなくてはならなくなったら、ちょっと遠いけどドライブして行こうね…と思っていると通じてしまったのか、ささっと穴に隠れてしまいました。(文章に誤りがあり、修正しました10/17)




2024年9月30日月曜日

るすばんねこ 93



 2週間お留守番中のニャアコちゃん。能登半島を襲った大雨洪水による被害が起きた 2日後、 動物レスキュー・捜索活動にチームうーにゃんメンバーは向かいました。今年は『暑さ寒さも彼岸まで』がピッタリ大当たりで、うささんが旅立った翌日から、千葉は急に秋の空気に包まれました。念のため出しておいた秋冬ハウスに、早速入っているニャアコちゃんでした。ちなみに、隣のニャアコちゃんの絵が描かれている箱はヒーターのカバーなので、まだまだ出番は先です。
 それにしても、地震で痛手を負い、やっと復興へ立ち上がったその地を襲った洪水にはやりきれない思いでいっぱいです。私は相変わらず留守番隊ですが、現地の変遷を見続けているうささんとメンバーは、また地震被災直後へ戻ってしまったような被災地を訪れ、自分たちがこんなにショックなのだから、必死に立ち上がった被災地の方たちはどれだけ途方に暮れていることかと思ったそうです。
 こんな時、神も仏もない…という言葉が浮かんでしまいますが、そもそも神や仏がいたとしても、彼らが災害を起こすわけではないと思います。災害は神も仏も止められないし、起こせないものであり、被災時や後に手をさしのべてくれたり、すがったりする存在なのかもしれない、と勝手に思っています。
 それでもやはり、神様仏様にお願いしたいです。どうかこれ以上傷を痛めつけるような災難が起きないよう、弱ったあの地をお守りください!と。
 

2024年9月16日月曜日

流行最先端

 写真は、先月末に訪れた青森県八戸市・是川縄文館で撮影した不思議な方です。
以前から土偶が大好きな私がいつか行きたいな~と思っていた場所です。国宝の『合掌土偶』で有名な博物館で、東京に出張された合掌土偶には以前お会いしたことがありました。けれど、他にも魅力ある土偶がたくさんいらっしゃるのでした。
 縄文時代後期以降のこのように変わった容姿の土偶、見ていると本当に不思議な気持ちになります。人間と動物が混ざってしまったかのような姿に見えますが、結髪土偶と呼ばれ、角のようなものは、ヘアスタイルということになっているそうです!流行最先端の髪型…。
 現代の研究者さん達はなんとか分類しなくてはならない定めがあるのでしょうから、ヘアースタイルとせざるをえないかもしれませんが、やはり古代の世界では分類説明できない不思議なことがたくさん起きていると思います。人間と獣が混じっていたっておかしくないと思います。他の星の生物も、ご近所に暮らしていたかもしれません。
 博物館の暗がりに並ぶ彼らを見ていた時、たくさんストーリーが去来しましたが、欲張りな私はうまくまとめられずに日々の生活を過ごしています。いつか、作品ができましたら追記したいと思います。



2024年8月31日土曜日

るすばんねこ 92




 現在、個展で留守にしているうささん宅の庭では、大きなスイカが実ってくれました。
台風による大雨が来る前、なんとか割れずに収穫出来たので、ニャアコちゃんと記念撮影!(実は大きさの比較もかねて…。)
 今日は私も個展へお邪魔して、絵を見せていただきました。一番好きな作品は、白いカモシカが河に佇んでこちらを見ている絵でした。
 その河は、命の往来がある河だそうです。命あるものは、体が終わる時や始まる時にその場所を渡るのかもしれません。
 けれど、その場所は人によってすべて違う様相なのだろうなと思います。河ではなく海かもしれないし、砂漠や山岳地帯かもしれないし、建物がひしめく街かもしれないし、空中かもしれない…自分が渡ってきたその場所は一体どんなところだったのかがとても気になります。この先、自分の体が終わってまたそこを渡る時がきたら、出来れば、息が上がるような困難な場所でなく、美しい景色で穏やかならいいなと…。そして、今築いている素敵な人間・動物関係がすべてゼロにならず、見えない糸でつながっていられたらいいな…とつくづく思います。
 ニャアコちゃんも、きっとそう思ってくれている!と信じて。


2024年8月17日土曜日

嵐の後

 

 昨日関東へ接近した台風7号は、北東~北からの暴風を房総半島沿岸に吹き付けました。
以前同じような暴風で砂浜へイルカがうちあげられてしまったいすみ市の海水浴場へ、打ちあがって帰れずに困っている命がいないか見に行きました。
 結果的にそのようなこともなく安心しましたが、魚やカニの亡骸、ちぎれ飛ばされた海藻は打ちあがっていました。プラスティックゴミを拾いながら、嵐は、陸にも海にもたくさんの犠牲をつくりながら通り過ぎるのを思い知ります。
 写真手前の黒い物体!私は初めて見ました。
一瞬昆虫がちぎれてしまった身体か…と思ったらどうやら違い、植物の種子?海藻の一部?と首をひねり、後で調べました。なんと、エイ類の卵の殻だそうです!
 ここから旅立ったエイの赤ちゃんは、今頃どこでどうしているのかな、と広い海原を眺めます。  
 この砂浜には海亀も産卵に訪れるそうで、あちこちに卵保護の目印がありました。車の乗り入れを許可された方や、犬を浜に開放している方も、どうか少しの思いやりでそんな命が埋まっていることを忘れずにいてほしいなと思います。
 いつまでも、いろんな命が集うことができる浜でありますように。