2014年12月25日木曜日

サンタさんもおどろく歌



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 (ガラスの国のサンタ)
『ママがサンタにキスをした』という歌はジャクソン5で聞いていたので、英語
歌詩の内容は知っていました。
クリスマスの日、子どもがこっそり起きていて、ママがサンタクロースにキスしているのを見てしまった一場面の歌。
 最近生まれて初めて、その歌の日本語版を聞きました。
聞いてショック!!
なんと歌の最後に「でも、そのサンタは、パパ~♪」と言っているのですね!
サンタと仲良くしているママを見て子どもが、パパが見たらどうしようとかドキドキするイメージで、この何十年も聞いていたのに…。
訳者の草野氏は、何故そんな結末に変えたのでしょうか?

先日、ある小学2年の男の子が言いました。
「幼稚園の年中頃までサンタはいると思ったけど、ぼくはもう知ってる。
家族がサンタになるんだよ。」
私は、
「○○君の家はそうかもしれないね。でも、家族がいろいろな理由でサンタになることが出来ない家もあるから、そういう家にはサンタがくることになってるのかもよ?」
と答えましたが、お勉強がよく出来る大人びた○○君は、反論してくるかなと思いました。けれど彼はうなづいて言いました。
「そうか!だから、サンタは来るって言う人と、来ないって言う人がいるんだね。」

 子どもには真実を伝えなくてはいけないと言われますが、
何が真実か、大人だからといって言い切れません。
この世界は、合理的なものだけの集合体ではないはずと思います。




2014年12月22日月曜日

一陽来復



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(ふくふくした雀さん)
今年も冬至がやってきました。毎年思うことですが、明日からは少しずつ春へ向けて陽が長くなると思うとほっとします。
 

 いつのもの年より早く、私の身の回りではインフルエンザが流行ってきました。
学級閉鎖されていた学校もあります。マスクはちょっとした買い物へ行くにも必須です。
 風邪で寝込んだことは過去何度かありますが、一番忘れられないのが20代前半にこじらせた風邪。
 休みにくい多忙な時で、発熱や咳を無理やり薬で抑えながら出勤していました。ところが、ある時突然薬は全く効かなくなり、熱がぐんぐんあがり咳も止まらず…。病院へ行ったら肺炎になっていて、そのまま入院でした。
 若いから油断していた…の一言です。独り暮らしで食事はほとんど外食。朝昼はファーストフード、夜はラーメン屋や居酒屋といったあまり感心しない生活をしていました。
 かなりこじれていたので6日ほど入院していたのですが、大部屋の内科病棟の患者さんは皆ご老人。話す人もいないし、退屈なので点滴をひっぱりながらうろうろ散歩していると、廊下の手すりにつかまって一生懸命歩くおばあちゃんに話しかけられました。私の向かい側ベッドの方でした。
「あなたは、すぐに退院できるね。」
そのおばあちゃんがどのような病状で入院されていたのかは憶えていませんが、その言葉ははっきり憶えています。そのときは何気なく「はい。」と答えましたが、おばあさんの心にはいろんな思いがあったのでしょうね。
「あなたはすぐに退院できるね、これからは気をつけなさいよ。若さなんてあっというまよ。風邪をバカにしちゃいけないよ。」
または、「わたしはいつ出られるかわからないのよ。」
かもしれません。
今になって、つくづく思います。風邪を軽くみてはいけないし、自分の身体だからって自分が酷使していいわけじゃないことを思います。自分が倒れれば、必ず誰かしらに、心配や迷惑もかけるのですから。
 今夜はゆず風呂に入り、なんとかインフルエンザにやられぬよう気をつけたいと思います。




2014年11月24日月曜日

不明部分の物語



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(つい買ってしまった土偶クリアファイル)
先週、国宝展へ行く機会がありました。
今回は私の大好きな土偶さんたちがいらしていると聞き、
人ごみ苦手な私も、気合を入れて訪問しました。
国宝の土偶5人衆がせいぞろいする期間から外れていることを知らずに行ったので、
お二人しか見られませんでしたが、お目当ての合掌土偶さんには会えました。
 今もその用途に謎が多い土偶さんには、さまざまな物語が浮かびます。
創造は勝手にふくらみ、おかしな話から怖い話までいろいろわいてくるのです。
 説明板に「当時のものと思われる修復痕がある」と書かれていました。
彼らは、修理しながら大切にあつかわれていたのですね。
それにしても、ふくよかな女性の体から、かなりスリムなボディスーツ風のスタイルまで、
様々な体系と姿勢です。おまけに、合掌土偶さんは口のまわりにヒゲみたいな点々までありました。
これからも、どこかの土の中からひょっこり現れてくれたら嬉しいです。

 旅行先で偶然見つけた博物館でも、思わぬ不思議なものと出会えるときがあります。
ギリシャの小さな博物館だったとおもいますが、ワイングラスのような器なのに、なぜか口が3つか4つもついているがありました。
「これで飲むとしたらかなり大変だろうな…。同時にすわないとこぼれちゃうし。」
私は顔面にいくつも長い口びるがある妖怪を想像し、説明の英文を電子辞書をひきながら必死に読みましたが、
結局『用途不明器』と書かれていました。わからなくて残念と同時に、わからないほうが楽しいとも思いました。
 物語の種が発芽する、用途・使途不明なものたちが大好きです。





2014年11月12日水曜日

遠い国からのプレゼント



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8月にお会いしたオーストリアの出版社の方から、素敵なプレゼントをいただきました。
「ふわふわいいな/絵・うさ 文・たかぎなまこ」の韓国版が出版され、ハングル文字の絵本が入っていました。
それだけでなく、心のこもったお手紙と、今まで食べたことのないほど美味しいチョコレート、そして上の写真の木の実と、紅い押し葉も同封されていました。

 日本語で「セイヨウトチノキ」フランス語ではマロニエと呼ばれる、
日本の山地で大木をみかける栃の木です。
日本のトチは葉が黄色くなりますが、セイヨウトチは赤くなるのでしょうか。

 栃の実は、かなり手間をかけてあく抜きしないと人間は食べられません。ヨーロッパでは「動物たちが食べる栗」と言われていて、飾りなどにも使われるようです。
 しかし、日本では栃餅・栃の実せんべいなどになっていて、私も過去に何度かいただきました。福島生まれの母は、幼い頃に栃餅がご馳走だったとききました。
 
 その実を贈ってくださった方の気持ちが、実が入った箱の中からあふれ出てきたのを感じました。大切そうに、やわらかな紙にくるまれた押し葉からも。
「夏に私の町を案内した時、美しい大樹を紹介したでしょう?あの樹たちが秋になってこんなつやつやしたきれいな実をつけたのよ。」
贈り主の優しい声が聞こえる気がしました。
 
夏に散歩をご一緒させていただいた、オーストリア・クレムスの丘を思い出し、今はトチの樹の大きな葉がパサっと落ちてくるのを想像しました。
短くなる陽が、あっという間に冬を連れてくるのだろうなと思うと、あの時聞いた教会の鐘の音とともに、静かでせつない気持ちになります。





2014年10月24日金曜日

豹変した山



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(イタリア・ソレント港からヴェスヴィオ火山 2014.4月)
先月末に御嶽山噴火が起きて以来、どうかすべての方がみつかりますようにと思ってニュースを気にしていました。
しかし、先週末で今年の捜索は中止になり、7名の方が山の上で冬を越すことになったことを知りました。
関係する方たちへ無神経に「今どんなお気持ちですか」とマイクを向けていた報道陣に、いつもながらやりきれなくなりました。
家族が当事者だとしても、彼らは同じ質問をするのでしょうか。
 
 2000年に起きた三宅島・雄山の噴火を思い出しました。
噴火が起きる数ヶ月前、私は雄山の山頂カルデラ・八丁平をハイキングしていました。
独りで何の届けも出すこともなく、休止している火山に何も不安を感じず、のんきに歩いていました。
 八丁平は緑に覆われた広々とした火口原で、鳥の羽ばたきがひびくほど静かな場所でした。
私はとても気に入ったので、また是非ちがう季節に来よう!と思いました。
 けれどその年の夏、雄山は山頂カルデラをふきとばして噴火したのです。
テレビに映った山頂は、大きく陥没した穴から噴煙を上げ、八丁平は消えていました。

 そんな記憶もうすくなってしまい、私はその後もいろいろな火山を訪れています。
十勝岳、蔵王、那須連山、霧島連山…今登っている山がどんな状態の火山であるか意識したかと聞かれると、ほとんどしていませんでした。
 この一ヶ月御嶽山のことを考えながら思いました。メディアがとりあげなくなり、噴火した記憶がうすくなってしまっても、豹変する山があることを一生忘れないようにしようと思いました。




2014年10月5日日曜日

震災で消えた小さな命展・・・27



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(浄瑠璃寺参道の土産店から来た鹿さん文鎮)
奈良市の「ギャラリー美々風」で10月7日から13日まで複製写真展が開かれます。
関西方面では京都や神戸、大阪などで幾度か開かれていますが、奈良は初めてです。
週末の連休も含みますので、たくさんの方が訪れてくださることを期待します。
 最近訪れていないのですが、奈良は好きな場所のひとつです。
まずは、大好きな鹿さんたちと必ず会えるのが幸せです。ならまちや東大寺周辺も好きですが、若草山の奥や、京都府との境の当尾の石仏・その先の浄瑠璃寺の九品仏と、赴きある境内。
とりつかれたように何度か足を運びました。


 今日は10月5日。東大寺勧進所・阿弥陀堂で「五刧思惟阿弥陀如来坐像」が一年に一度公開されます。毎年この日だけ見られるとあって、たくさん人が訪れます。私も以前うかがって拝観させていただきました。東大寺のホームページにはこんなふうに書いてありました。
『五刧思惟阿弥陀如来は、阿弥陀如来の異形のひとつで、経説によると四十八の大願を成就するために永い間、剃髪をすることもなく坐禅・思惟していたので、このような髪形になったという…。』
このような髪形とはどんなものかというと、つまり『アフロヘアー』みたいな頭の如来様なのです。うかがう前は、アフロヘアー?と好奇心にあふれていたのですが、実際その如来様にお会いしたら、とてもほっとしたような懐かしいような…。無宗教の私ですが、とにかく心が落ちついてひとめぼれしてしまいました。

 私が訪れたある年のご開帳で、一つ残念なことがありました。仏像マニアらしき年配の男性が、如来様のお顔や体に、丹念に懐中電灯を当てて観覧していたことです。ライトをあてながら、周囲の人々にも得意げに説明していました。瞳にはめ込まれているのは○○だとか、螺髪(らほつ)の数はいくつだとか…。あくまでも「貴重な仏像」としての扱いに私自身は不愉快でしたが、当の如来様はそんなことなど気にしない大きな心を持っていらっしゃるかもしれません。

 せっかく一年に一度外の光が入る阿弥陀堂が、今日はあいにくの天気でうす暗いでしょうね。
ホームページに、撮影やスケッチ、そして懐中電灯の使用を遠慮してくださいと記述がありました。
こんな注意書きを読まなくても、久しぶりに姿をみせてくれた如来様に気づかいができたらいいなと思いました。





2014年9月23日火曜日

心が静かになる花



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(お客をのせた彼岸花)
 好きな花の一つですが、この花が咲くと心の中がしんとした静けさに包まれます。花の名前がそうさせるのか?そういうふうに思う人が私に限らずたくさんいるようです。
 もしかしたらその理由の一つに、小学4年生の教科書に昔から変わらずのっている「ごんぎつね」の物語があるかもしれません。
 
 
  読書好きだった私は、国語の教科書をもらうとすぐに物語ばかりひろって読みあさっていたのですが、初めて読んだ当時感じたやりきれなさは、大人になって読み返しても変わりません。
 正直を言うとあまり好きではない物語です。
けれどその中で、『彼岸花が赤いきれのようにさき続いていました』と続きの文『村の方から、カーン、カーンと鐘が鳴ってきました。そう式の出る合図です。』という部分が強く心に刷り込まれているのです。紅い彼岸花のあぜ道を、白い葬列が墓地へ向けて続いていく、その場面がこの花を寂しく感じさせているのかもしれません。
 
 そして、「ごんぎつね」の紅い花へつながる、私自身の思い出がもう一つありました。
私がこの物語を学んだ小学4年生の終わり頃、15歳年上の叔父を亡くしました。まだ25歳という若さで、兄のように遊んでもらった叔父がこの世から消えたことは、私の人生で初めての大きな悲しみと衝撃でした。当時土葬だった叔父の生家で、3m近い積雪の中を、葬列が鐘を鳴らして墓地へ続きました。「ごんぎつね」の中と同じようにカーンカーンという鐘、念仏、それとすすり泣く声が白い村に響いていました。
 春の彼岸より10日ほど早い、3月初旬です。

 今日は秋の彼岸のお中日。
祖父母たちと叔父の写真の前には、おはぎとあずき&ホイップどら焼きが供えられています。
庭の彼岸花も一番美しい開き具合です。




2014年8月31日日曜日

いろいろな出逢い



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(オーストリア・レッヒで出逢ったアルプスマーモットさんたち)
 8月の後半に出た旅で1年ぶりに、大好きな動物に再会できました。初めて訪れたオーストリア、レッヒの山です。いつもピンボケしたりタイミングを逃す私にしては、珍しく上手に撮影できました。
 そして5ヶ月ぶりに、お世話になっているオーストリアの出版社の方と再会できました。その方の素敵なご家族・お友達とも初めてお会いでき、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
 オーストリアではハイキングの他に、古都や美術館を見学したり、世界一といわれる氷の洞窟を観に行ったりしました。

 いつも旅行中に一度は思います。素晴らしい景色を見たり、素敵な人たちやかわいい動物と会えるのも、自分が現在平和な国に住み、普通にくらしていける立場にいられるからだ、ということを思います。けれど、いつこんなふうにのんきに旅行できなくなるかわからないのだから、この時間を感謝しなくちゃなとも思います。
 
 いろいろな出逢いがあり、夢のように時間が過ぎていましたが、帰ってきたら秋になっていました。夜になって鈴虫が鳴いていますが、今日の昼間はまだ蝉の鳴き声も聞こえました。
 アルプスマーモットさんたちはすっかり秋らしい山の上で、たくさん食べてムクムク大きくなって、寒さに備えているのでしょうね。




2014年8月4日月曜日

無人駅のアナウンス



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福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ只見線です。
昔、幾度もこの列車に乗って、祖父母の家をたずねました。
祖父母が他界し、現在は叔父が守ってくれる家へ、先週久しぶりに行きました。
 今回は車で行きましたが、懐かしいこの列車に会うことが出来ました。

 只見線は、東日本大震災があった2011年の7月、福島と新潟を襲った豪雨で多大な被害が出て、分断されてしまいました。今も奥会津の6区間は復旧していません。
 津波でひどい損害を受けた三陸鉄道が、今年全線開通して嬉しく思いましたが、只見線は当面全線開通の見込みはないと聞きました。

 洪水後に立て直した無人駅は、以前と同じく四角い小さな小屋でした。
鉄道マニアの甥っ子に只見線の写真を撮ってあげようと列車を待っていたら、十何年か前、祖母に見送ってもらった一場面を思い出しました。
早め早めに行動しなくては気がすまない祖母は、私が乗る列車が来る三十分も前から駅舎へせかしました。ギリギリ人間の私はブーブー文句を言いました。
「おばあちゃん、早すぎ!あと一杯お茶飲んでも余裕だったよ。」
「いいべ、遅れるよりか早いほうが!」
ヒマなので、私は線路に下りて散歩したりしていました。
「あぶねえから、上あがれ!ひかれちまうんだから!」
「来たら逃げるから大丈夫だよ!」
祖母はやきもきするのですが、列車が来るのはちゃんと前もってわかるのです。
只見川にかかる鉄橋を列車が越えてくる時、一足先に目の前のレールを伝って『カチャン、ガシャン』という振動が響いてくるのです。その音は「列車が入ります。ご注意ください」というアナウンス代わりでした。その後、プアンと警笛を鳴らして列車は姿をあらわすのでした。

 祖母一人を草の生えたホームに残し、都会へ帰る列車へ乗るあの気持ちは、セミの声とともにしみついています。




2014年7月22日火曜日

蚊のご満足



f:id:takagi-namako:20140722112727j:image(家の裏の水路にチビ亀発見)
 本日関東地方が梅雨明けしました。いよいよ、夏が名実ともにやってきたらしいです。
毎年夏になると、ひそかにためしていることがあります。
蚊が満足するまで血を吸わせきると、かゆみが少ない。本当かウソか?』をたしかめる実験。
(そういっても、私はわざわざ蚊に血をあげるような親切な人ではありませんので、刺されていることに気づいた時、最後まで我慢してみるだけ)
 
 本当です。
ネットで検索しても、結論は「都市伝説」などと書かれているのを見つけますが、私は身をもって毎年主張しています。ウソではありません。
 蚊が本当に満足して自分の針をゆっくり抜き去って飛び立つのを見送ると、後のかゆみが本当にほとんどない!のでした。お腹がまん丸に赤く膨らんだレディー蚊は、たいてい遠くに飛べず、近くの草にしがみついています。
 ただし、重要な問題は蚊が本当に満足してという部分です。私も何度か失敗しているのですが、ぎりぎりの段階で中断させてしまうと、当然かゆみははげしくやってきます。
蚊は針を刺すときに麻酔を入れて、私たちに気づかれず食事を始めるのですが、食事が終わるまでその麻酔が持たないらしいのです。
 あと数秒で吸い上げ終了!というときに激しくかゆみと痛みがくるので、私たちは皮膚に緊張感をこめてしまいます。その時、蚊は危険を察し、あとちょっとなのにと飛び去ってしまう…というわけです。だからなかなか実験は上手くいきません。
 私は10年以上前から試して慣れているので、最後の方のそのかゆみも予想して、上手く見送ることが出来るようになりました。でもうっかりくしゃみなどすると、もう台無しです。

 何の科学的根拠もなく、証明が出来ない事実です。
でも、実際昨日刺された3ヶ所のうち、私の左足で上記の実験をした場所はどこかわからないくらいなのに、他の2ヶ所は今もむずむずかゆくて赤いです。
友人には「信じてもいいけど、見てるだけでかゆくて最後までなんて待てない。」と言われますし、家族には「感染症が心配だから止めてよ!」と注意されますが、こりずにやっています。




2014年6月29日日曜日

うらやましい特技



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(近所の藪・ケンケン鳴くキジ紳士)
先日おかしなことがありました。ご近所の友人(絵本作家・うささん)がカラスの鳴き声をまねしていたら、なんと、カラスがその声に応じていました。
 カラスがカア!うささんがカア! すると再びカラスがカア!と応じました。
 カラスが2回カアカア!うささんもカアカア! そしてカラスはカアカア!と返します。
それが数回続き、カラスは「何だろう?」と思って上空を旋回しているようでした。
遠くで先に通過した仲間の声が聞こえます。一羽だけ旋回しているそのカラスにむかって「早く来い」と呼んでいるようす。
 あまり足止めしては悪いのでナキマネを止めると、そのカラスも遠ざかって行きました。
夏至をすぎたばかりの陽の長い夕暮れ時です。

 以前から動物の鳴き真似が上手なのは知っていましたが、うささんの鳴き真似は、彼ら動物たちにも「おや?へんな言葉だけどあいつなにか言ってる?」くらいのレベルまで認められているかもしれません。耳から入った音声の再現を、瞬時に上手くやってのけるのでしょう。私は真似しても無視されますので、うらやましいです。
  カラスに応答してもらえたうささんには、キジ紳士にもぜひ寄り道してもらうよう、お願いしたいです。




2014年6月8日日曜日

ナキウサギの思い出



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(ナキウサギ・ユク/電子絵本)
 今朝5時頃、ケン、ケン!というキジの大きな鳴き声で目が覚めました。
細かな霧雨が煙る中、親子か夫婦かわからない雌雄の姿を見つけました。
 視界が悪いと天敵に狙われる危険が少ないからか、いつもは草むらに見え隠れするキジたちが、今朝は、見通しの良い畦道をノシノシと歩いています。
 

 初めてナキウサギと出会ったのも、霧の朝でした。
山上のキャンプ地で1日中雨が続き、テントに閉じ込められた翌朝、
霧がたちこめる岩斜面に、ナキウサギのシルエットを見つけました。
同時にキチキチっと響く声も聞きましたが、すぐに見失いました。
 残念ながら、私は明るい空の下ではっきりと彼らの顔を見たことがありません。
かわいい表情は、様々な方が撮っている素晴らしい写真で満足することにします。

 ユクの話は、岩のすき間のトンネルに閉じ込められたダレカさんをたすける物語ですが、近年、彼らの環境は様々な原因でおびやかされることを耳にします。
 地球の大気はじわじわと冷涼・清涼な空気を減らしていますし、道路建設計画が持ち上がることも脅威だと聞きました。
 人間も、彼らが通るひっそりしたトンネルくらい控えめに、山の上を謙虚に通行出来たらいいなと願っています。彼らのトンネルがいつまでも埋まることがありませんように。





2014年5月31日土曜日

老樹の耳



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先日、那須の山で面白い樹とあいました。
かなりお年寄りのミズナラさんです。ふくよかな耳を森に向けていました。
裏側にまわると幹に大きな洞があいていて、もうすぐ朽ちてしまうのかと思いきや、
上方には新しい枝を張り出そうとしています。
 このような樹とあうと、いろいろな物語が浮かびます。
林の向こうにそびえる那須連山から吹いてくる風や、ふもとの高原からあがってくる
様々な音を聴いているうちに、こんな立派な耳が出来たのかもしれません。
森に住む生き物は、この大きな耳を頼りにしている気がします。
長雨の季節がどれくらい近いのか、毎年訪れる夏鳥たちはどのくらいやってきたか…いろいろ知っていそうなのです。
どうか、末永く健在でおられますように。




2014年5月10日土曜日

虹、3つ



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昨日午後は、天候の急変で豪雨や雹が降ったりした地域もあったそうですが、
私の住む町では雷雨がさーっと素早く通り過ぎました。
 
 夕方の黄色い陽が強く射し始めたので、もしや!と思い空を仰ぐと…二重の虹が!
嬉しくなって写真をバチバチ撮っていると、もう一つ不思議なものを見つけました。
写真に上手く写らなかったのですが、濃い方の虹の内側に、もう一つうすい虹がくっついたように広がっていたのです。なんだか虹が太ったみたいでした。


 後で調べると、濃い虹が主虹、外側の薄めの虹が副虹、主虹の内側に広がっていたのは過剰虹という名前がついていました。
難しい名前と原理はさておき、とにかく幻想的で美しい光景でした。
 二重虹は、大地震の前兆などということもあるそうですね。
実際、東日本大震災の前にも見られたという記述がありました。
でも私には、とても素敵な良いことが起きそうな幸せな気分でした。
自分の感覚を信じたいなと思います。




2014年4月27日日曜日

ミルク色の岩



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(岩手県・幽玄洞)
石灰岩土壌の地下には、複雑な鍾乳洞が多いです。
私は昔から洞窟が大好きでした。初めて訪れたのはあぶくま洞(福島県)で、小学校低学年の頃だったかと思います。日本国内はもちろん、海外旅行先でも、
鍾乳洞があると聞くとつい訪れたくなるのでした。
 ミルク色のひだや、垂れ下がるツララのような岩は、触れずに見ていると
やわらかい物体に思えました。雨水にとけて長い年月をかけて再び固まったそれらの岩を眺めると、なんとも言えない不思議な気持ちになります。


 石灰岩地形は、地下も地上も魅力があるのです。溶解しやすいのに風化に強い石灰岩は、地上に面白い形の岩を残してくれるのです。
 中国の桂林や石林は、広範囲に見飽きない風景が広がっていて大興奮でした。
「石灰岩がそんなに好きなんて、前世に石灰岩に生息する生き物だったんじゃないの?」
と友人に笑われたことがありました。
それはどうだかわかりませんが、いつか自分の体内のカルシウムも、この地球に堆積する石灰岩の一部になるのでしょう。そして果てしない時間の後、地殻変動などで陸地へ移動して洞窟として出現するかもしれません。
 その時、洞窟を歩いているのは今の私たちと同じ人間なのか、それとも人間はもうとっくに絶滅して見たことのない生き物なのか…鍾乳洞の中では空想がふくらみます。





2014年4月11日金曜日

巨大すりばち



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(南イタリアプーリア州・アルタムーラ)
先月末から今月にかけて、初めてイタリアへ行きました。
ボローニャブックフェアで、お世話になっているオーストリアの出版社の方と
ゆっくり会い、お食事する目的を果たしたその後、南イタリアへ足をのばしました。

 私はヨーロッパであまり怖い思いをしたことがないので、南イタリアは絶対に気を引き締めて!と何度も友人に釘を刺されました。
 言われた通り貴重品はしっかり身に付け、かばんのファスナーは忘れず、かなり気合を入れました。独りで電車やバスを待つ時、ゴルゴ13のように背中は必ず壁につけて立っていました。
 鉄道のストライキで大慌てしたり、子どもを連れて物乞いをする人々にはやりきれない気持ちを抱きましたが、結果的に怖い思いはせずに旅を終えることができました。

いろいろ心に残った景色があります。アルベロベッロの小人の集落みたいな風景、カプリ島の鮮やかな海の色。マテーラの歴史が塗り込められた洞窟の白い街など…。
でも、一枚選んだ写真は上の場所でした。
 プーロと呼ばれる石灰岩特有のすり鉢型陥没です。カルスト地形のドリーネと同じもののようですが、規模がものすごい…直径550メートル、深さ92メートルだそうです!
カメラにとても収めきれない広さで、ごっそり陥没していました。
石灰岩の空洞だらけの地形なので、地下へ地上が落ちこんだだけであると言われればそれまでなのですが、私はいつもこうした地形に何故か心をひきつけられます。
迷宮のような鍾乳洞がある時突然凹み、地上と地下が合体した場所。目に見えない巨大隕石が落下して凹んだようにも思えます。





2014年3月11日火曜日

ラジオの声



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(凍る田にうつむくタゲリ)
 テレビをあまり見ないのですが、ラジオをよく聴きます。
聴きながら絵や文をつくっているので、コメンテーターの方には悪いのですが、なるべく語りが少なく音楽要素が多い番組をハシゴしています。

 3年前の今頃もラジオを聴いていました。震災時の停電でテレビはもちろん、パソコンもつながらなくなっていました。ラジオだけが、現在自分たちをとりまく状況を報せてくれました。あの夜にロウソクの灯りの中で聴いたラジオは、忘れられません。
 次々と明らかになる被害状況。その合間に、ある海岸で、たくさんの方の姿が上空からみとめられるという緊迫した実況。聴きながら自分自身もロウソクも余震に揺れていました。
 

 そんな恐ろしいことが現在起きているというのを信じたくありませんでした。
「今の報道は間違いでした」という訂正がされないか、そんな思いで聴き続けていました。
悪い夢なんだ、きっと誤報だったんだ、と思いながら眠れずに聴いていた、ラジオの声をよく思い出します。




2014年2月15日土曜日

1年前とかわったこと



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(氷の国の円い窓)
 庭のお墓の上に、今年もチューリップの芽が顔をだしつつあります。
一年前、交通事故で命を落としていた白黒の野良猫さんがねむっている場所です。

 そのおとなりには、先日交通事故で路肩で命を落としていた野鳥・アオジさんも
眠っています。雪が降る前の凍るような北風に、普段はよけられる車を避けられず、
衝突したのかもしれません。

 相変らずその道は、猛スピードで走り抜ける車が多いですが、
一年前に比べると変わった点が一つあります。
 歩行者用の信号機が新しく出来ました。
歩行者がボタンを押さない限り車は走り続けるのですが、
信号機があるのとないのでは、運転者の心構えは多少ちがうかなと思います。
 実際のデータはわかりませんが、少なくとも私が事故を目撃するのは減りました。
信号機を作ってくださって、感謝です。


 一年前と比べ、良いほうへ変わったことを探してみました。
もちろん悪いほうへ変わったこともありますが、良いことも、
小さなことなら結構見つかりました。
良いことあった?と聞かれて、ぱっと思い出せる気持ちでいられればいいなあと思います。





2014年2月3日月曜日

霧の中のオニ



 f:id:takagi-namako:20140203075731j:image 今日は昼ごろまで霧につつまれていました。
近所の冬枯れ田んぼや、竹林が、ぼんやりにじんで少し怖ろしい気がしました。
 霧の向こうからゆっくり人影が浮かんで現れ、はっきり見える前に
遠ざかって、再び霧にのみこまれて消えました。
 いつも通る道が、どこか知らない空間につながるように思え、
時々立ち止まってしまいます。

 
 まるで春の暖かさの今日から、明日は気温が真冬へ急降下すると
気象情報が伝えています。
 こんなふうに急な気圧変化があり、今日のような濃霧を見ると、
何か、知らぬ間に大切なものがさらわれてしまいそうな不安を感じます。

 
 節分の今日は、鬼さんも霧にまぎれ、人里をうろうろしていたかもしれません。




2014年1月20日月曜日

震災で消えた小さな命展・・・26



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 埼玉県ふじみの市産業文化センターで行われた小さな命展へ行ってきました。

 絵になった動物たちは現在飼い主さんの元へ帰っていますが、
それを写真パネルにした展示で、大切な命の話を伝えている
展覧会です。

 
 複製写真の命展を見るのは、今回初めてです。
作家一人ひとりが心をこめた絵画とはちがうものでしょうけれど、
丁寧に複製していただいた写真から、命展のメッセージが強く感じられます。
 動物たちが人間と同じように災害から避難することが、
ごくあたりまえの常識になってくれるのを願う気持ちは、
うささんの講演と、会場に並んだ写真から伝わったのではと思いました。

 
 ふじみ野市主催の「東日本大震災チャリティーコンサート」と同時開催だったので、
会場おとなりのホールからは、次々に音楽や歌が聞こえてくるのでした。
唱歌・オペラ歌曲・吹奏楽演奏など様々でしたが、みなさん心をこめた発表で、観に来る方も楽しみにしているようでした。
ホールへ歌や演奏を聴きに訪れた方たちが、偶然小さな命展開催を知って立ち寄り、
「こんな素晴らしい展覧会まで見られて、今日は幸運でした。」と言ってくださいました。


 屋外は凍るような強風でしたが、イベントの温かい雰囲気で、
会場はとても心地良い空間でした。




2014年1月2日木曜日

小さな友達を運ぶ馬



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2014年が素敵な年になりますように。
地球上の様々な土地でたくさんの困難があるとは
思いますが、どうかその困難がおさまってくれますよう、
祈っています。