2015年12月27日日曜日
るすばんねこ 7
今月は、毎週末おりこうにるすばんをしているニャアコちゃんです。
テーブルに置いたPCをくいいるように見つめていました。(この後、キーボードをのしのしふんで立ち去りましたが。)
今日、スーパーへ買い物へ行くと、当然のようにお正月一色のディスプレイです。
冬至の前はカボチャやゆずが並び、クリスマスにはケーキやオードブルがぎっしりあった棚。
幼い頃、クリスマス後のあっというまにお正月色に変わってしまう街が嫌でした。
クリスマスの楽しい空間を、一晩ですりかえられてしまうのがさみしかったからです。
音や光、香もすべて、がらっと変身してしまうのですから…。お正月も楽しい行事ですが、
やはり子どもにとって、クリスマスは特別なものなのでしょうね。
一昨年のお正月、フィンランドへ行った時、街はまだクリスマスディスプレイがあふれていて、
泊まったホテルにも大きなツリーが輝いていました。
『メリークリスマス&ハッピーニューイヤー』を実感し、なんだか嬉しくなりました。
日本の街は変わり身が早いけど、あちらではゆっくりと連続した祝祭日を過ごしているのです。
冬至を過ぎ、太陽は年をまたぎながらゆっくり腰を上げ、じわじわ長居してくれるように変化します。
小正月の後、寒さのピークを乗り越える頃、
「そういえば、なんとなく日の入りがおそくなったような。」と思いはじめる気がします。
そんな季節の移ろいをチャカチャカ忙しくせず、ゆったり過ごせたらいいなあと思います…が、
毎年あらゆることに追われているのが現実なのでした。
ニャアコちゃんは達観された様子で、これから確実に伸びていく日の入り時間を知っているようです。
2015年12月17日木曜日
あらしの後

先日、雨上がりに近くの九十九里浜を散歩しました。
嵐の後なので、変わった貝がらがないかなと思ったのです。
でも、波打ち際に貝がらはほとんど見つからず、クラゲたちがたくさん打ち上げられていました。
海水に戻しても動かず、すでに命はつきてしまっていました。残念です。
あまりにいたいたしい波打ち際を歩くのは止め、風紋が刻まれている砂浜の写真を撮ってみました。中央アジアの岩砂漠地帯に似た風景を撮りながら、クラゲたちは嵐から避難する術がないのか考えました。
貝たちは嵐の前に砂の深いところへもぐることもあるらしいし、ウニやヒトデ、私の尊敬するナマコなども頑丈な岩かげへはりついて避難するらしいと聞いたことがあります。
でも、クラゲはどうにもならないのでしょうか。クラゲが荒天時の海中でなにか対策しているのかどうか、私が調べた限りでは見つかりません。自然界でクラゲがどのような行動をしているか、まだまだ解明されていないようでした。
クラゲに限らず、自然界に存在する生命体の不思議は、ヒトに研究解明されている事実など砂粒ほど微量なのでしょうね。
砂漠のような風紋をカメラでのぞいていると、ふと、砂粒より小さい自分が、はるか上空から何者かに観察されているような想像をしてしまいました。
2015年11月29日日曜日
誕生日
15年前の今日、私は都内の職場近くで一匹の『捨てうさぎ』を拾いました。
引越しの不用品とともに、その小さな命は置き去られていたのです。
野生のノウサギでなく、ノラうさぎが存在するなんて考えたこともありませんでしたが、都会の公園でうさぎが健康に生きていけるはずがないことくらい、当時の私にも解りました。
後に友人と共同で迎えた大切な家族となりましたが、その時はどうしたらいいものかおろおろしていました。
寒い北風が吹く日、街路樹の落ち葉を追いかけるように食べていたうさぎは、やせて目が大きく見えました。保護されると、こわばってかたまったままです。
自転車通勤だったので、背中のリュックサックにうさぎをすっぽりつつみ、私は家路を急ぎました。世田谷区の職場からアパートのある杉並区まで、30分弱の道のり。
うさぎはおとなしく、私に背負われてやってきたのです。
でも、一度だけ背中のうさぎはリュックの中で動きました。帰り途中、ペットショップに寄り道した時です。うさぎのフードを探していた店内。突如、傍らにいたチンチラがゲージ越しに私のリュックをじいっと眺め、小さな体でぴょんぴょん飛び跳ねました。
すると、わずかに遅れてリュックの中のうさぎもぴょんっと伸び上がるようにジャンプしたのです。
彼らは無言で、何かを伝え合っていたのでしょうか。
リュックに包まれたうさぎのことを、ペットショップに囲われたチンチラはどんなふうに思い、何て言ったのでしょう。
15年経った今日も、私はあのチンチラの顔が忘れられません。
今日は、あの日背中に背負って連れ帰った大切な家族の誕生記念日ですが、
あのチンチラにも、そんな記念日が訪れたことを願いながら、毎年この日を思い出します。
2015年11月13日金曜日
ひょうたんと土偶さん
先日、国立科学博物館で『世界のひょうたん展』を見ました。
なぜだかわかりませんが、ひょうたん には昔から憧れに近い気持ちがありました。
家にあったひょうたん型の七味唐辛子入れも、本物じゃなくて木製ですが大好きでした。
庭先にひょうたんがぶら下がっている家があると、ついつい立ち止まって見てしまいます。
ひょうたん展、科学博物館の中でも地味な展示室でしたが、 なんとも魅力ある展覧会でした。
アフリカ大陸や南米を中心に容器、飾り、楽器など、 用途はさまざまで、お面や呪術など、変わった用途のひょうたんもあります。
「最古の栽培植物…。」
およそ6千年も昔から水入れなどに利用していたという説明板を読み、ほお!と感動しました。
調べてみたら、日本の縄文遺跡から栽培されていた痕跡を示すものが出ているとのこと。
私の大好きな土偶さんたちと、ひょうたんも同じ時代を観ていたのです。
ますます、 ひょうたんへの魅力がアップしました。
なぜだかわかりませんが、ひょうたん には昔から憧れに近い気持ちがありました。
家にあったひょうたん型の七味唐辛子入れも、本物じゃなくて木製ですが大好きでした。
庭先にひょうたんがぶら下がっている家があると、ついつい立ち止まって見てしまいます。
ひょうたん展、科学博物館の中でも地味な展示室でしたが、
「最古の栽培植物…。」
およそ6千年も昔から水入れなどに利用していたという説明板を読み、ほお!と感動しました。
調べてみたら、日本の縄文遺跡から栽培されていた痕跡を示すものが出ているとのこと。
私の大好きな土偶さんたちと、ひょうたんも同じ時代を観ていたのです。
ますます、 ひょうたんへの魅力がアップしました。
2015年10月31日土曜日
ふせがき
(秋の日の贈りもの 絵・うさ より)
秋に実る柿の実をすべてとらずに少し残しておき、冬の間食料に困るであろう鳥や動物にあげる習慣があるそうです。それを、布施する柿『ふせがき』というと、ずいぶん昔に知りました。
そこから思いついた小さな物語に、うささんが絵をつけてくれて、今年FM愛知の小冊子・エコメンド内に載せていただきました。山の熊たちの食べ物が乏しい、ある年の秋の話です。
上の絵は最終場面。山と村の境目にある柿の木に、吊るし柿がたくさんぶら下がっていて、たくさん食べてねとメッセージが下がっています。
びっくりして感激しているのは、人間によって母熊を失った子ども熊。熊たちのために柿を枝に吊るそうと思いついたのは、村に住む小さな人間の子です。
熊が人里に出て捕獲されるニュースを毎年聞くたび、胸が痛みました。
人里に来させないために、食べられる農作物などを畑や野に残してはいけない、という意見も聞きます。でも、熊たちに、山と村の境界で食物を提供する「熊の畑」という活動をされている方たちもいるそうなのです。
私の物語は現実的じゃないかもしれませんが、ふせがきという言葉と、その心はずっと消えずにいてほしいと思います。
秋に実る柿の実をすべてとらずに少し残しておき、冬の間食料に困るであろう鳥や動物にあげる習慣があるそうです。それを、布施する柿『ふせがき』というと、ずいぶん昔に知りました。
そこから思いついた小さな物語に、うささんが絵をつけてくれて、今年FM愛知の小冊子・エコメンド内に載せていただきました。山の熊たちの食べ物が乏しい、ある年の秋の話です。
上の絵は最終場面。山と村の境目にある柿の木に、吊るし柿がたくさんぶら下がっていて、たくさん食べてねとメッセージが下がっています。
びっくりして感激しているのは、人間によって母熊を失った子ども熊。熊たちのために柿を枝に吊るそうと思いついたのは、村に住む小さな人間の子です。
熊が人里に出て捕獲されるニュースを毎年聞くたび、胸が痛みました。
人里に来させないために、食べられる農作物などを畑や野に残してはいけない、という意見も聞きます。でも、熊たちに、山と村の境界で食物を提供する「熊の畑」という活動をされている方たちもいるそうなのです。
私の物語は現実的じゃないかもしれませんが、ふせがきという言葉と、その心はずっと消えずにいてほしいと思います。
2015年10月10日土曜日
るすばんねこ 6
ニャアコちゃん、再び2週間のるすばん中です。
トマトにかわってコスモスが咲く軒先で、ピンクも似合うニャアコちゃん。風でゆれるお花に視線を翻弄されています。
ニャアコちゃんは、ちょうど一年前の10月初旬、うささん宅へ保護されました。二週続けて、大きな台風が関東を直撃した時でした。
ニャアコちゃんを室内へ入れた時、近所には、のびのび自由に外で過ごしている方が幸せだよね、と言う方もいたそうです。
私も、数年前まではそんなことを思っていました。自分がもし猫だったら、家より自由に外がいいななどと、口にしていました。 想像できるはずない、無責任な発言でした。
野良猫生活は、ケンカやケガ、病気や交通事故…いつ命を落とすかわかりません。 さらに、現代は残念なことに、歪んだ精神の人間による猟奇的な殺害まであります。
充分な食べ物と争わなくて良い広さがあり、車がブンブン走っていなくて、歪んだ人間も入ってこない土地ならば、 外で自由に暮らして幸せかもしれません。
野良時代のニャアコちゃんも、先住猫との確執や寝場所探しに追われていたようです。 当時は、常にビクビクしている姿が印象的でした。
今は脅かされるものもなく、ガリガリの逆三角顔から、丸いお顔になりました。
窓際の丸い桶がお気に入りです。
2015年9月30日水曜日
スズムシと観た月
9月の後半を急ぎの仕事でバタバタと過ごしてしまいました。
爽やかな秋晴れが多く、連休もあったのに、いつもギリギリ人間の私はゆとりなく過ごし、もう明日から10月になろうとしています。
でも、満月だけは、スズムシの声をききながらベランダからゆっくり眺めました。。
そういえば以前、スズムシの声を携帯電話のボイスレコーダーに録音しようとして、できなかったことがありました。
周りの音は細かく入っているのに、スズムシの声だけ全く入っていない…!
周波数の関係で、携帯電話では音を再現出来ないらしいということを後で知りましたが、なんだかとても不思議でした。
デジタル機器に捕まらないように、するりと逃げられたような。
機械から逃げてくれて、うれしいような気もしました。
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